問診票

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OD搬送大迷惑日記‼️

 

 

 

わたしの腕はズタズタボコボコで初見の人にとっては毎回かなりのショックを与えている。その傷だらけの腕に重なるように傷を増やしては血と涙を流すことでどこにも行き場のない気持ちを洗い流すような感覚になれる。

 

リストカットはまじで‼️やめられない‼️「リスカなんかしちゃだめだよ!」というセリフを何十回も聞いてきた。その言葉は心には届くどころか跳ね返してしまう。いけないことどころか心の救いに、拠り所になっているからだ。死ぬためではなく生きるための行為。なぜこんなにわたしにとって助けになってるどころか希望になってることをやめなきゃいけないんだろう、テメーになにがわかるんだ‼️と毎回思いますね‼️

 

でも不思議なことに何回も繰り返せば繰り返すほど何も感じなくなってしまった。痛みなんて感じない。血が流れていくことに何も思わない。完全に感覚が麻痺していた。

その次に頼るものは人ではなく精神薬。病院で処方される大量の薬をめちゃくちゃ貯めてたんですね〜〜なぜか勝手に貯まってた‼️お茶目だね‼️

たった3錠でふわふわ優しい気持ちになれるソラナックスという抗不安薬はわたしのマストアイテムで外出時も不穏な気持ちになった時に飲んだりお守りのように大切に持ち歩いていた。なんでも許せるような気分になる。不穏と不安が入り混じった気持ちすらも優しく包み込んで私を守ってくれるような気がした。ただそのくらいの量で済ませておけばよかったのにリスカで感覚が鈍りまくったわたしはソラナックス3シートともう1シートためていたラモトリギンという薬をジュースで飲み干しちゃったんだよね!!!!!(今でも薬が喉を通ってゆく苦い感覚を思い出すとまじで吐きそうになるクソ気持ち悪い死んで)

 

そこからの記憶は全くない。

親から聞いた話だが、2階からバタバタと音がしていたようで私の部屋に駆けつけるとわたしはゲロ吐いて暴れまくっていたらしい。しかも割と深めき腕切ってたから血塗れゲロまみれで想像しただけで地獄‼️遺書も書いてた‼️

もう手に負えなかったようで人生初の救急車に乗ったようなのですがほんとになんにも覚えてない…

 

目を覚ますとわたしは天井を眺めていた。ベッドの上にいた。じわじわと自分が置かれている状況に気付いた。すぐそこには看護師さんが2人私の足元に立っていた。ここまでの記憶が本当に何もない。

手足をチェーンと包帯でぐるぐる巻きに縛られていて全く身動きが取れない。あーこれずっと昔何かの漫画の閉鎖病棟のワンシーンで見たことあるあれか、というところまでは頭が回った。置かれてる状況の処理速度が速かったせいで動けないことにイライラした。「なんで縛られてるの!?意識はこんなにあるのにてかもう大丈夫だから外してくれよ…」と頭では思っているのに感情が暴走して喉切れそうなくらい叫んだ。暴れても体が自由になることはない。それしかできなかった。ただとにかく解放してほしい気持ちしかなく、人間は手足を縛られて自由を奪われると完全に頭がおかしくなるということを実感した。途中別の看護師さんが横に来てくれた時、あ!やっと解放される〜🎶と淡い期待を抱いたが「大丈夫だからね〜もう少しだからね」と言われるだけでなんでそばに来てくれたのに解放してくれないんだ…涙 と1人で悲しい気持ちになりながら意識を失った。

 

目が覚めると病室のベッドにいた。

 

そこから呂律が回らず看護師さんに「携帯ほし・・」と言って自分の携帯を受け取った。しかし焦点が合わず目が見えない私はもちろんiPhoneを解除できるわけでもなく「iPhoneは使用できません」の文字。(解除できるのに4日かかった)

そのときわたしの横で看護師さん4人が私の携帯を奪ってテーブルの上にテープで貼り付けてこちらを見てゲラゲラ笑ってバカにしている光景が見えた。超鮮明にくっきりはっきりと。その場にいた他の看護師さんにも悪口を言われてわたしは「うるせーーーーーーーーー!!!!!死ね‼️黙れや!!!!!!!」(もっとヤバい酷い言葉を吐いていたが低俗すぎるのでかけない)とあり得ない暴言を騒ぎながらベッドの柵をめちゃくちゃ蹴った。なんなら止めてくれようとした看護師さんのお腹を思いっきり蹴った。ほんと最悪。

そして座らされ、脚に注射を打たれ、わたしは脳死していたので「覚醒剤打たれたぁ〜〜〜ぁ〜〜〜おわりだ〜〜〜^ - ^」と思いながら意識を失った。なぜかポテトサラダ一口食べたのは覚えている。こんな状況で食事をさせようとしたのは超謎

そのまま眠りについて深夜に拘束されていることに気づきもううんざりした。身動き取れないってまじでストレスだしこんなにしんどいんだ、、と。普通に歩いて生活できていた時の自分にノスタルジーを感じた。腕や脚はあざだらけになっていて物凄く動いたんだなという形跡があった。目が覚めたタイミングで看護師さんに「携帯使えないんですけど‼️」って言ったら「え、ロック解除できてないだけじゃない?」と言われそこで初めて幻覚だということに気がついた。

 

 

2日目の朝

ぼんやりとしか覚えていなかったけどわたしは看護師さんに「2日で退院できるからね!」と言われていたので希望が見えていた。閉鎖病棟にいたときよりマシだ。「食事を完食できることも退院の判断になるからね〜」と軽く言われふらふらな体を起き上がらせ朝食が運ばれた。もちろん白米大嫌いなわたしの喉を通るわけでもなく、でもこれを食べ切らないと退院できないというクソデカプレッシャーに襲われてぐらっとする頭痛と共に痙攣を起こしてぶった倒れた‼️(ストレスでたまに痙攣を起こすことがあるのできっと心的なものだけど)

落ち着いた私に「お母さんがあと15分で来るからね」と看護師さんに言われた時は爆泣きしそうになった(T_T)涙

お母さんが迎えに来てくれて車椅子に乗せられたわたしの足はふにゃっふにゃ(本当にこの表現が合ってる)で全く力が入らず自分の足ではないような感じだった。近くにいた看護師さんに助けられながらなんとか車へ乗り込んだ。そのあとも診察を受けたけど焦点も合わないし起き上がれないし人間は力が入らないとこんななるのか…と思った。頭ではわかっているのにそれを言語化できない。それどころが断片的な単語しか言えない。喋れない。

 

しゃべれないため看護師さんにお礼も言えないまま車に乗った瞬間涙が止まらなかった。自分がしちゃったこと、申し訳ない気持ち、生きているという事実、ものすごく迷惑をかけてしまったこと、病院から解放されたという安心感。色々な気持ちがぐちゃぐちゃに混ざってめちゃくちゃ泣いた。お母さんはとにかく優しい言葉をかけてくれた。差し出してくれたハンカチびしょびしょになるくらい泣いた。その日はすごくいい天気で何も変わらない街並みを車の中から見て元の世界に戻れたような気持ちになった。たった2日だけどわたしのなかではものすごい時間の流れ方だった。

 

家に着いたわたしはお父さんにおんぶされ、ソファで死んだように横たわった。眼鏡をつけてテレビを見ても2重に見える。相変わらず携帯は使えなくてやることがないが動けない。テレビから聞こえるCMの音声を頭の中でひたすら再生して寝て起きたりを繰り返していた。夜になりお風呂に入らないので体を拭いてもらったりシャンプーしてもらったりまじで介護だった。両親に大感謝すぎる。というかでけえ赤ちゃんになったような気分で本当に申し訳なさで死にそうだった。まじ家族𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬なんだけど・・・絶対死ぬまで家族の面倒見ると誓った。本当に幸せな家庭に産まれたな。その日の夜にちょうど友達と作った曲が上がってなんか思い出の曲になったよ涙 全然眠れず朝を迎えた。

 

今はもう文章を書けるし壁を触れば歩けるような状態まで回復しましたが完全には薬が抜けきっていないので気持ちは悪い。

 

とにかく地獄だったのでもうODはしません・・‼️‼️‼️大迷惑をおかけしてしまって本当に申し訳なかった。けどその分また生きよう、生きなくてはいけないなという原動力になった。強く生きたい